hamurabiou’s diary

主に航空トリビアや時事的な航空ニュースについて掘り下げます

全世界の航空会社の1便を見てみよう~日本編~

皆さんは「1」という数字には特別な意味があると思っていますか?

それがどのような意味でも何等かの意味があるとお思いでしょう。
それは航空会社も同じです。

航空会社は1便に自社の伝統がある路線や特別な意味がある路線を選びます。今回はそんな各社の1便を紹介していきます。

尚この投稿は日本編です。その他の地域のフライトナンバー1を見たい方は下のURLをどうぞ

☆アジア編1(東アジア、東南アジア)
https://blogs.yahoo.co.jp/blackboard_fun/16515205.html



日本航空 (サンフランシスコ→羽田)

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日本航空がこの路線を開設したのはDC―6Bのときでチューク、ホノルル経由でした。その後、ニューヨークまで路線が延長されたりしながら、サンフランシスコ直行になったのは747ー200Bのときでした。今現在、日本航空の羽田発着枠の二つのうちの一つです(もう一つはニューヨーク)。現在の機材は777-300ERでファーストクラス付きの機材です。244席のみのゆとりの国際線機材で運行されています。777もそろそろリプレースの時期です。777が退役すると予想ですがA350-1000に置き換えられると思われます。現在の777ー300ERが13機あり、A35Kも発注数は13機だからです。


全日本空輸 (ワシントンD.C.→成田)

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全日本空輸は1986年まで航空憲法ともいわれた45/47体制に縛られて自由な路線展開が行えなかったのですが、崩壊に伴い国際線の進出が可能になりました。そこで全日本空輸が初めに成田―グアムを開設。同年に開設したのが成田―ワシントンD.C.と成田―ロサンゼルスでした。前述のグアム線が後に撤退していることから、この二路線は全日空国際線で最も歴史のある路線といえます。

日本トランスオーシャン航空 (関西国際空港那覇空港

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後追いの写真しかありませんでした…

さて、調べてみたんですけど、この便にJTAがフライトナンバー1を充てる経緯がわからないんですよね。南西航空時代の沖縄県外路線は那覇―与論ですし、初の本土路線は那覇―松山。日本トランスオーシャン航空になってからの初の本土路線は羽田―石垣(宮古経由)で、関空線はその次で、そもそも那覇行ではないんです。結局、那覇関空はその後に開設されたはいいもの、伊丹への国内線移管で一時は路線休止。復活したのも2012年のJALからの路線移管で。どういう理由でフライトナンバー1が充てられているんでしょうね。謎

スカイマーク (羽田→福岡)

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国内航空会社として1996年に設立されたスカイマーク。1998年にボーイングからリースという形で新造機の767―300ERが導入され、それで運行された初便が羽田から福岡線です。まあ、767くらいのキャパシティでいかないと国内随一のドル箱に新興航空会社が乗り込むことは不可能でしょうね。JALANAが747SRで運行して三社目のJASもA300で運行しているんですから、ワイドボディ機は必須でしょうね。

・ピーチ (関西→セウォル/仁川)

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和製LCCのピーチは自社運行の初国際線として就航した関空―仁川をフライトナンバー1にしています。この路線は日系キャリアがピーチ以外就航していない路線です。ピーチも便数としては4便あるので輸送力もまあまああるので大韓航空やJEJUAIRなどと戦っていけるのでしょうね。

エアアジアジャパン (中部→新千歳)

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この前に運行を開始したエアアジアジャパン。全日空とのいざこざもあり、二世代目エアアジアジャパンが2017年末に就航したばかり。フライトナンバー1は運行初便の便に充てられています。

日系キャリアはこれだけです。そのほかはフライトナンバー1が存在していなかったりしていました。

さよなら~

最後まで読んでいただきありがとうございました。