ロングフライトの歴史
どうも、こんにちは
突然ですが、長距離フライトの上級クラスって夢がありますよね。しかし、エコノミークラスはどうでしょう?
窮屈な空間で12時間以上を過ごすのです。機内食が2回でるとしても、あんまり体力が回復するものではないでしょう。
では、エコノミークラスにとっておぞましき長距離便はいつからおぞましくなったのでしょうか。
今回はその歴史を時系列順に見ていきましょう!
- 1923年 パース‐セイロン島
- 1957年 サンフランシスコ‐ロンドン(TWA)
- 1961年 ニューヨーク‐テルアビブ(エル・アル航空)
- 1963年 モスクワ‐ムルマンスク‐ハバナ(アエロフロート)
- 1967年 マドリード‐ブエノスアイレス(アルゼンチン航空)
- 1976年 ニューヨーク‐東京(パンナム)
- 1976年 シドニー‐サンフランシスコ(カンタス航空)
- 1988年 ロサンゼルス‐テルアビブ(エルアル)
- 2001年 ニューアーク‐香港(コンチネンタル航空)
- 2004年 シンガポール‐ロサンゼルス(シンガポール航空)
- 2004年 シンガポール‐ニューアーク(シンガポール航空)
- 2015年 デリー-サンフランシスコ(エアインディア)
- 2017年 ドーハ-オークランド(カタール航空)
- 2018年 シンガポール-ニューアーク(シンガポール航空)
1923年 パース‐セイロン島
長距離便の歴史はオーストラリアに始まります。今もですが、オーストラリアは他の大陸から離れているため、飛行時間が長くなりがちです。
そして、いつの時代でも旧宗主国との往来に需要があります。その需要は第一次世界大戦以前は海上交通が中心でしたが、第一次世界大戦でヨーロッパがボロボロになると、イギリス国王への忠誠心からガリポリの戦いにも参戦します。その参戦により大陸との迅速な接続を行うためにこの路線が開拓されました。
機材はカタリナ機です。
1957年 サンフランシスコ‐ロンドン(TWA)
第二次世界大戦で航空網開拓の空白期がありますが、戦後数年すると開拓が再び始まります。尚、朝鮮戦争の期間も航空会社は新規路線の開拓は難しかった模様。
そしてできた航空路がトランス・ワールド航空のサンフランシスコーロンドン線。機材はロッキード・コンステレーションで、その中でも大西洋線の無着陸運航のために燃料タンクを増やし、主翼を新設計したスターライナー。
現在も当時も長距離の航空路の運賃は高く、当時は短距離でも庶民には手が届かない範囲だったため、機内は豪華でベッドもあったとか。
1961年 ニューヨーク‐テルアビブ(エル・アル航空)
そして時代は変わり従来のレシプロ機からジェット化。亜音速を飛ぶジェット機により航空会社は遠くへ、速く輸送をすることが可能となりました。そこでエルアル航空はB707‐320を使用して路線を開設しました。
ちなみにB707‐320の愛称は「インターコンチネンタル(日本語で大陸間移動)」で、これは747‐8の旅客型の愛称でもあります。
1963年 モスクワ‐ムルマンスク‐ハバナ(アエロフロート)
今までは西側の航空事情しか書いてきませんでしたが、世界第二の航空大国であるソビエト連邦ももちろん航空機を開発しています。それがツポレフTu‐114です。この飛行機は実はジェット機ではありません。
当時のソビエト連邦も西側がジェット旅客機を開発している同時期にジェット機を開発しているので時系列的には違和感はないのですが、何よりエンジンが悪かった。
高バイパス比のエンジンを作ることができなかったため、同じサイズの旅客機でも航続距離は西側の方が遥かに長いなんてこともあり、ソ連は大型なレシプロ旅客機の開発を行い、できたのがTu-114です。
ちなみにこの路線が、現在最長距離のレシプロ旅客機による定期便路線なんです。
1967年 マドリード‐ブエノスアイレス(アルゼンチン航空)
今度は西側に戻ります。エルアルと同じB707‐320を使用してこの路線を開設しました。勿論707なので飛行速度もそこまで速くなく、フライトタイムは12時間だったそうです。この路線は次のパンナムの東京線が開設されるまで10年近く世界最長距離の路線でした。
1976年 ニューヨーク‐東京(パンナム)
747という航空業界での革命児が生まれ、その超長距離型の747SPも開発されます。この飛行機はニューヨーク‐東京のためにあったといっても過言ではないような機体で、大幅に胴体を短縮して定員を減らした結果生み出した長大な航続距離を持っています。
747SPの長大な航続距離によって東京‐N.Y.間を無着陸飛行できるようになり、アンカレジやシアトルを経由していたノースウェスト航空や日本航空よりも快速な便となり、パンナムは最初はシェアを伸ばしましたが、SPは胴体を短くしているのでキャパシティにも限界があり、747‐200Bに‐300用のエンジンを付けてキャパシティが大きい機体を使用した日本航空やノースウェスト航空に負けていきます。
イラン航空の747SPは当時の国家元首が航空ファンで、自国の航空会社に同機を購入させたそう。買ったはいいも飛ばす路線がなく、成田に飛ばしたんだとか。
1976年 シドニー‐サンフランシスコ(カンタス航空)
同年、カンタス航空はカンガルールートの一部であるシドニー‐サンフランシスコ線を開設します。現在ではA380がデイリーで飛んでますね。
機材は747SPで運行するのはカンタス航空。オーストラリアは地域上、どうしてもロングフライトになりがちです。そのため、一時期のカンタス航空は747オンリーの機材構成でした。
1988年 ロサンゼルス‐テルアビブ(エルアル)
707でニューヨーク‐テルアビブ線を開設した同社ですが、今度は西海岸からの路線を運航し始めます。現在もこの路線はデイリーで飛んでいます。フライトタイムは13時間とだいぶと長い。
2001年 ニューアーク‐香港(コンチネンタル航空)
この路線は現在も続く路線です。コンチネンタル航空はニューアーク‐香港を、ユナイテッド航空はニューヨーク‐香港を運航し始めました。
この路線は地球をほぼ半周しているので太平洋回りでも大西洋回りでも距離がそこまで変わらないので、当日の天候によってどちらを回るか決めているようです。
2004年 シンガポール‐ロサンゼルス(シンガポール航空)
この路線は、2004年のシンガポール航空の開設と、約10年後にユナイテッド航空が787を導入すると2社がこの路線を運航する状態となります。
尚、昔はユナイテッド航空は成田経由でこの便を飛ばしていました。
機材は777‐300ERです。
2004年 シンガポール‐ニューアーク(シンガポール航空)
現在世界最長路線であるニューアーク線。このときはA340-500という当時エアバス社で最も航続距離の長い航空機で結ばれていました。
この路線が開拓される前はどこかで乗り継がないとニューアークにはシンガポールから行けなかったのですが、直行で行けるようになりました。
このA340-500という飛行機はタイ国際航空の北米線などでも使われた飛行機なのですが、エアバスの航空機の中で売れてないランキングではトップに入るのではないでしょうか。
余談ですが、A340-500シンガポール航空仕様の機体にはフライト中に死人が出た時のために棺桶スペースがあったそうです。
2015年 デリー-サンフランシスコ(エアインディア)
距離的には実はシンガポール-ニューアークより長いのですが、偏西風の影響でフライトタイムは15時間と短いです(SIAの便は18時間)。機材は777-200LRです。
LRとはロングレンジの略で、777シリーズの中で最も長距離を飛行することが可能です。
2017年 ドーハ-オークランド(カタール航空)
カタール航空のこのフライトは777-200LRで運行中。
中東からニュージーランドは結構需要があるみたいで、エミレーツ航空もドバイ-オークランド線を飛ばしています。さすがにイギリスからオークランド直行は難しいですからね
2018年 シンガポール-ニューアーク(シンガポール航空)
一時運航を中止していたニューアーク線がかえってきました!
運休していた理由は「供給過多」「フライトタイムが長い(A340は足が遅い)」などです。それが「そこまで座席数は多くない」「マッハ0.85で飛行可能」なA350で運行を再開しました。
座席はエコノミークラスなしのビジネスクラスとプレミアムエコノミーの2クラス制。
このように長距離路線には以上のような歴史があります。これ以降ももっと長い長距離路線が開設されることを楽しみにしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
では、さよなら~